South WInd Stage 限りない自由の空と海がすぐそこに 遊びの求道者が種子島での観光やスポーツ・体験講習をサポートいたします ・ハンググライダー・パラグライダー ・パラグライダー ・モーターパラグライダー・スキンダイビング・サーフィン・ウィンドサーフィン・ シーカヤック ・クルーザーヨットでのクルージング ・トライアルバイク体験講習 郷土芸能、種子島鉄砲太鼓の体験講習 ・ドラムの体験講習 当スクールではSurfBoard等のレンタル・ 各種ボード等、気軽にご相談ください
せっかく南の楽園に来られても天候に左右されやすいものです
当スクールの体験講習は空を飛べなければクルーザーヨットやスキンダイビング・
波が高ければサーフィン・スポーツが無理なら郷土芸能等々、
必ずお役に立てるよう皆様のプレイステージをお約束いたします
また業務用空撮等もも承っております
リップ カレント(離岸流)
8月の暑い午後、種子島の東の上方(うえほう)海岸でハンググライダーの講習をしていた。 そこえ8人の若者達が泳ぎにやってきた。30分位たった頃一人の女の娘が泣きながら走ってきた、そして、流された!助けて!! すぐに車の中からフィンを持って走った。すると、沖の方に二人と、100メートル位のところで4人と、近くに一人が泣きながら陸に向かってもがく様に泳いでいる。まず一番手前の娘を引き上げて、その娘が持ってた浮き輪をもって、沖に向かって急いだ、ゆっくり泳げ!!と叫んだのが聞こえたみたいだ。潮の流れに乗ってるから、すぐに4人に辿り着いた。浮き輪が大きくて良かった、4人捕まらせてまず休ませた。多分沖の二人は離岸流(リップカレント)が止まるとこまで行ってる。ビーチと平行に泳ぐように指示をする、一人は男の子で少し安心する。4人も疲れはとれたみたいだが、咳き込んでいる。多分泣きながら泳いだせいで、水を飲んだのだろう。全員水面にいる事を確認して、まずリップカレントから離脱した。沖の二人も進んできてる。ようやく岸に着いた。そうしたら、安心したからだろうか、又一斉に泣き出した。聞いてみると、鹿児島市内から遊びに来てる7人の女子高生と、一人の男の子だった。その後安全な場所を教えたが、さすがにショックが大きかったのだろう、泳がずに帰っていった。
いつもはサーファーがいる場所なんだが、その日に限って一人もいなかった。いい波がたってサーファーがいるって事は、泳ぐには危険な場所って事を認識してほしいものである。
”遊泳禁止”の立て看板はあったが、どうして泳いでいけないのか、危険な理由も付け加えるべきと思う。
先日、お茶の 和香園 の社長さnからの依頼で、有明町に行ってきた。
依頼というのが、イベントで、モーターパラで飛んでくれと、ようするに、宣伝を兼ねたデモフライトなんですが、付録があった。 ギターと大太鼓も持ってきてくれと。
結局、太鼓は、さすがのハイエースでも積めなかった。
和香園に着いてさっそく、老人ホームの慰問ライブにいった。 とにかく、選曲は昭和初期の歌謡曲をやったら、涙流してくれてる、おばあちゃんもいて、うれしいライブだった。
夜は、和香園のすごく立派な研修センター?(俺には、音響のすばらしいライブハウスとしか思えない)でライブ、ここでは 80年代のナンバーがメイン。
一夜明けて絶好のフライト日和のつもりが風が強い。明日の本番にそなえて、テストフライトでテイクオフしたが、やっぱりかなり荒れてる。翼端が何回か潰れる。どうしても、目的地まで行きたかったが、途中の小高い山が越せない。 地上に写る影が少しバックしてる、風速10Mは吹いてるだろう。あきらめて、引き返す。
本番当日、昨日と同じ様な天気だ、午後のフライトは諦めて、比較的穏やかな 午前中に 2フライト,横断幕を引いて飛ぶ。
パラグライダータンデム
今年二回目の PAPジャパン種子島ツアーがやって来ました。
今回は、東風が吹かなくて、コーラルリーフは飛べませんでしたが、毎日飛べた。
昔ポルトガル人が漂着した、前之浜海岸は、今回もマンタに会いました。
小谷氏に教えられて、私も離陸してビーチを半分ほど行く間に、11頭のマンタを確認した。
ここを飛び始めて5回目になるが、毎回マンタが迎えてくれる。
いつ頃から種子島にマンタがいたかは分からないが、これも地球温暖化で生息域が北上してるのではないだろうか。
これ以上地球環境が悪くならないで、マンタにとって種子島がいつまでも、楽園であるように、願いたい。
いまのところ、人間を怖がってない様子である。サーファーのすぐ近くまで接近してる。
それにしてもでかい!翼の幅が、 ロングボードより長いから、畳2畳くらいはあるかも知れない。

30年以上も前の屋久島での話しです。
遠い昔の事なのに、いまでもその時の情景を、鮮明に覚えています。
その日は天気のいい夏の出来事でした。
屋久島に住んでる友人の家族と自分の5人で、登山に行く事になった。
登山とは言っても、3歳と5歳の女の子が一緒だったんで、縄文杉までは無理なので、ウイルソン株まで行く事になった。
車で行ける終点、荒川登山道に着くと、友人がいきなりトロッコで登ると言うので、見ると、そこに、おきざられた、錆びた機関車とトロッコがあった。
このトロッコは数年前まで、屋久杉運搬に使われていたものだそうだ。
トロッコは下り坂に止めてあって、押し掛けでエンジンは始動した。
友人のいうには、機関車に馬乗りで見張りをしてくれと、それと、車輪がスリップしたら線路上に砂を撒く役目らしい。そういえば、映画のシーンで見たことがある。
OKはしたものの、動きだすと、線路はだいぶ老朽化していて、所々谷側に傾く。それに、鉄橋渡るときは、枕木のすきまから、谷川が見えて、回りの綺麗な景色を見る余裕など、無かった。
途中、小杉谷小学校跡を過ぎた所にある山小屋で休憩した。
管理人のおじさんに、帰りに又、寄ることを、告げて出発する。
だんだん勾配がきつくなりスリップが始まった。
さっそく、バケツに備え付けの砂を撒きながら、どうにか終点に着いた。
それから、ウイルソン株までは、機関車から降りた開放感で山歩きも楽しかった。
ウィルソン株はさすがに、大きい、切り株の幹周りが13.8mで株の中は、10畳程の空間がある。300年も前に、人力だけで伐採して、こんな険しい山中から運び出した労力と時間は、想像もつかない。
切らずに残しておいてくれれば、縄文杉よりも大きく綺麗だったろうに。
切り株の中で仰向けになっていると、ため息がでるほどのなんともいえない、いい気分に包まれた。まるで時が止まったようである、 今回は、縄文杉はあきらめて、ここから下山する事になった。
来る時よりもゆっくり降りてくれ、そう頼んで、機関車にまたがった。
そして、ゆっくり動き出して50mも行かない時だった。
スピードが段々速くなって鋭い金属音が谷間に響いた。振り返って、叫んだ。
どうしたぁー! 友人は答えた。 ブレーキがきかない!
更に、エンジンブレーキも効いてないんだろう、シフトレバーを、しきりに、動かしている。
益々加速したトロッコは、横揺れも激しくなって今にも脱線しそうだ。
俺は体勢を、横転に備えて、いつでも飛び降りれるように、馬乗りから左側に中腰の姿勢に直した。でも、この姿勢は、山側の不規則に出っ張った岩肌が、自分にぶつかる様に視界に飛び込んでくる。そして何回も、谷側の方へ傾く、多分その時は片車輪は浮いてるのだろう、傾きが戻るたびに、ガチャーン! 音がする。
山小屋のおじさんは、音で異常に気づいたのだろう、線路沿いに立って何か叫んでた。
トロッコの中の子供達をみると、泣き叫んでいると思ったのは間違いで、手を叩いて喜んでいるではないか。
前方に小杉谷小学校が見えてきた。線路は小学校の前で右に大きくカーブしてる。
このスピードで突っ込んだら、横転、そして谷川え転落?
そう思ってた時だった。さっき聞いた鋭い金属音が響き、それと同時にエンジンの唸り音がきこえた。そして減速していって小学校の少し手前で止まってくれた。 助かった!
しばらく何もいえないでいると、子供達が楽しそうに、早かったね!と、はしゃいでいる、我に返った。
山小屋のおぢさん曰く、トロッコは、めったに脱線しないんだとか。でも過去に飛び降りた人はいるらしい。飛び降りてどうなったかは、当時聞いたはずなのに、記憶にない。
サーフィンのビッグウェーブのテイクオフもハンググライダーの断崖絶壁のテイクオフも怖いけれど、私は、ジェットコースターの方が、ずっと怖い。
” 限りなく自由な、山と、海と、空がすぐそこに ” I love tanegashima そして、屋久島